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寺﨑昌男(2007).大学改革 その先を読む 東信堂

公開日:2012年7月27日 最終更新日:2013年2月23日

概要

大学改革の動きがある → どういう経緯があって方針や取り組みが出てきているのかを見極める必要がある → そのためには、これまでの大学改革の歴史を知っておくとよい。過去の知識は未来に役立ちますよ。

読もうと思った理由・感想

学内の課題を解決するためにどうすればよいかを考える機会は多々あります。そのようなときに使える「考え方」を探していました。

過去にどのような取り組みがされてきたのか、なぜその取り組みに決まったのか、決まるまでに何が検討されたのかなどについて想像すると考えがまとまったり、新しいひらめきが出てきたりします。現在の状況の中だけで解決策を探すのではなく、過去を含めた広い視野で考えることが大切、という考え方を持つことができました。言うのは簡単ですが、実践は難しい。事あるごとに使っていきたい考え方です。

詳細

 ○まえがき
   - 本書は立教大学での講演を基にしている
   - 大学は様々な政策などの何に適応し、どのような価値にこだわるべきか
     ・ 歴史的洞察、現場の意見の正確・率直な発信が重要

 ○大学改革の歴史一三〇年-何が達成され何が残されたか
   - 大学改革の課題は複雑で理解が難しい
   - 日本の大学改革の流れを知っておくことにより改革課題を見る視点を養う
   - 明治
     ・ 明治維新から数年間は私学でしか高等教育ができなかった
     ・ しかし明治政府は民間に頼るべきではないとして私学を抑圧した
     ・ 政府によって「大学は国家のためにある」という原理が示された
     ・ それとは別に国家原理でない部分を母体にアカデミズムが作られた
   - 大正~昭和初期
     ・ 公私立大学が公認された
       - 私立
         ・ 日露戦争後、海外利権が増え経済圏が広がったのに対して、人材は不足していたため
         ・ 高度な知識を学びたい人が増えたため
       - 公立
         ・ 医師の需要があったため(ほとんどの公立大学は医科大学として始まった)
     ・ 単位制度が議論され実現している
       - 科目選択制度
       - 段階A~Dでの成績評価
         ・ それまでは素点
     ・ 教授自治が限定つきで承認された
       - 勝手に学部の教授を免職させることができない
     ・ 教授、助教授は何をする役職かという議論は深まらなかった
     ・ 女性の高等教育は認めなかった
   - 戦時下
     ・ 高等教育に与えた影響
       - 兵器の開発による科学技術の進展
       - 戦争向け人材の供給源
     ・ 兵役を逃れるために受験戦争が加速
   - 戦後
     ・ 大学改革で現在の大学の形ができた
       - 1945年から始まり1950年代末まで続いた
       - 6・3・3・4体制の実現
       - 4年制大学に3年ほど遅れて短期大学も発足した
         ・ 短大ができた理由
           - 女性が4年制大学に行くと婚期が遅れると考えられていた
           - 実学、地域と結びついた大学が求められていた
         ・ 短大は女子教育機関として作られたのではない
           - 発足当初は男性が6割
     ・ 義務教育課程の教員養成を期待された
       - 義務教育が3年延びた
       - 男性がたくさん戦死した
     ・ 各府県でリベラルアーツ教育をしなければならなくなった
       - 各府県に国立大学を置くことにつながった
   - 高度経済成長期~バブル期
     ・ 私立と国立の違い
       - 私学の数、規模が急膨張した
         ・ 都市の中規模私立が拡大
         ・ 小規模私立が多く開設
         ・ 産業界の人材需要
       - 国立の数はほとんど増えなかった
     ・ 私学への国庫助成が1970年から始まった
       - 私学の公共性が財政上の裏付けを持って承認されたことになる
       - 額は今と同じく少ない
   - 1990年~
     ・ 大学審議会(臨教審がつくった)が次々と答申を出した
       - 大学設置基準の大綱化(1991年)
         ・ 現在の大学改革につながる
         ・ 大学の裁量権が大幅に認められた
       - 競争原理が言われるようになった(1998年~)
         ・ 「21世紀の大学像と今後の改革方策について-競争的環境の中で個性が輝く大学-」
       - 説明責任が言われるようになった(1998年~)
       - 国立大学の法人化
         ・ 明治以降の国・公・私の区分が消えた
         ・ わずか2年の準備期間で制度を変えた(これが国立大学の変化にどう影響するかが問題)
   - このような変化を受けて私たちが問われていること
     ・ 学生を学習主体としてみる

 ○学士教育課程と大学院教育
   - 大学が大衆化し、入門期教育の問題が出てきた
     ・ アメリカは1930年代から取組が始まっている
     ・ 全学共通と学部ごとという2つの側面がある
   - 全学共通の入門期教育
     ・ 課題
       - 高校までの学習と大学に入ってからの学習との違いを自覚させることが困難
     ・ 種類
       - アカデミックスキル
       - キャンパスライフへの適応指導
       - キャリア・エデュケーション
   - 自校教育も必要
     ・ 学生の「居場所」
     ・ 教員がなぜここで教えているのかを知ると、より安心する
     ・ 大学の難易度の順序を言う必要はなく、特色が何であるかを言うべき
   - 大学院教育がどうあるべきかという議論はほとんどされてこなかった

 ○カリキュラムと授業
   - 大学設置基準の「教育課程」の章に書かれているのは正課活動のことだけ
     ・ 大学を変えていくためには正課外活動も考える必要がある
   - カリキュラムは広がり(scope)と順次生(sequence)の2つの見方が大切
   - カリキュラムには見えるものと見えないものがある
     ・ 見えるもの:授業科目として示されている など
     ・ 見えないもの:時間割には出てこない、正課・正課外ともにかかわる(校風など)、積極的に活用することが大切

 ○教員と職員
   - アメリカの教員論の流れ
     ・ 研究が最も大切
     ↓
     ・ アカデミックフリーダム(学問の自由、大学教授の身分保障、ティーチングの自由)
     ↓
     ・ 教員の職務とは何かという問題意識
       - ボイヤーのスカラシップ論
         ・ 発見:研究(学会発表、論文)
         ・ 統合:専門の枠を超えて大学の中で知的活動ができるか
         ・ 応用:理論を現実に応用、地域の問題を自分の専門分野に持ち帰って専門を豊かにする
         ・ 教育:自分の専門分野だけではなく関連分野のことも教える
   - FDは授業改善だけではない
     ・ 大学設置基準の中には1999年の改正でFDが登場した
     ・ FDで育てる能力は「当該大学の授業の内容および方法の改善を図る」とされている
       - この定義では扱う領域が狭い
     ・ 正課・正課外の両方を含める必要がある
       - 大学設置基準では大学の教育課程について正課のことだけを記載している
       - それでは不十分

 ○私学の歴史、私学が抱える問題

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